保育や教育での体罰は必要ですか?
キャンペーン期間=2013年3月1日(金)〜3月15日(金)
【回答者総数】=871名


貴重なご意見をありがとうございました。

回答者の年代別人数

年代 人数
10代 79
20代 265
30代 276
40代 147
50代 54
60代 35
70代 9
90代以上 1
無回答 5
合計 871

回答者の性別

性別 人数
女性 522
男性 349
無回答 0
合計 871
   

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合計 871    

Q1.保育や教育での体罰は必要ですか?

選択項目 人数
必要 17
不要 437
場合によっては必要 417
合計 871
   

【主な意見】

必要場合によっては必要不要

<必要>

・今の子供は悪いことをした後の痛い思いがなく悪いことがあまり重要に感じなくなってきていると思います。
場合や程度にもよりますがある程度の体罰は必要と思います。

・体罰が不要であれば、少年法の解除が必要になる。 頭の悪い子供が増殖するだけだと思う

・私自身、殴られ、蹴られ、鼓膜まで破られてやっと人間になれたから。

・言葉だけで子供に理解を求めることが100%可能であるならば、不要です。
しかし、言葉の意味を十分に理解し受け止めることのできる人は世界に何人いるでしょうか?
限られた時間の中で、指導ができるのでしょうか?
できる人がいるなら教えてほしいですね。

<場合によっては必要>

・人は、一種類だけじゃないと思う。言葉だけで全ての人を教育できれば、教育者は人である必要はないと思う。ただ、暴力と許容範囲の体罰は別。

・昔は体罰という言葉を使われることなく、悪いことをすれば叩かれるのは当たり前だったのに今は保護者の必要以上に介入していると思うので、教育の場に出したら先生に任せるべきだと思います。

・私が子供の頃は、小学校でも中学校でも体罰を受けた経験がありますが(もちろん当時の教師は限度を知っており、けがをさせるような体罰は受けたことがありません)、おかげでしっかりした人間になれたと感謝しています。
中国の宋時代の政治家・司馬光の言葉に「教不厳、師之惰」(教えて厳(げん)ならざるは、師の惰(おこた)りなり)という言葉がありますが、最近の体罰厳禁とか言っている政治家や教育者はこのことがをかみしめるべきです。
このままだと、かつて「ゆとり教育」が教育を荒廃させたのと同じことになると思います

・体罰と暴力は別物であり、子供と真摯に向き合うとき体罰という手段はひとつのコミュニケーション・教育であると考えるため。
とくにやんちゃな男の子の場合など、言葉だけでは伝わらないこともあると思う。

・最近、体罰問題がトレンドになって報道されていますが、私が子供の頃には無かった単語のような気がします。体罰でモノの分別を覚え育って、大人になってからその意味が理解できた私には、????マークばかりです。近年子供たちが凄く弱くなっています

・昔、私は親や先生から、げんこつやビンタなどよく怒られましたが、それが本当に危険なことや、人を傷つけたり、物を盗んだりなど本人が本当に悪いことをしたなとわかれば、ちゃんと意味があり、公平であれば体罰も必要だと思います。
私の父親はよく私を叩いておこりましたが、愛情がこもっていて、ちゃんと怒られている側が悪いと感じていればそれは体罰とは言わないと思います。
優しくするだけでは、人の痛みや苦しさなどがわかる人間には、ならないように思います。
私は厳しく時には優しい父親が大好きでした。

・最近の体罰問題は日本人の神経質さや潔癖さがもろに表れていて融通の利かない話題になっているため困ったものだと思います。

・最近では、何でもかんでも体罰、体罰と過剰反応しすぎている気がしています。
保護者と保育園側の信頼関係さえ十分に築けておけば、あまり大きくは騒がないし、騒がれない気がしてます。
実際どこからが体罰でどこまでが体罰でないという線引きは中々難しいと思います。
(保護者と保育園側の常識的意識の違いなので非常に難しいです)
先生も保護者も、なんでも神経質になりすぎている。

・甘やかしすぎると大人になって社会人になった時役に立たない人間になってしまう。
ただ体罰とまで言うといきすぎな気もするが厳しくすべき所はしっかりすべきであると思う。

・絶対に禁止するというのは、指導側の動きを制限してしまうし、子どもが逆手に取った行動をしかねないと思います。
かといって、簡単に体罰を行っていいかといえばそうではない…指導側の教育が必要だと思います。

・少しでも叩いただけで親が文句を言う現代に疑問を抱きます。
やりすぎはもちろんよくないけれど、ある程度は教育に必要だと想います。

・あまりに素行の悪い子供に対しては「見せしめ」のために必要。
今の子は狡賢い一面もあるからなめられるから。
ただし・・・怪我はさせないこと。

・難しい説明だが、子供が聞き入れない、反抗する時に大人が本当に怒っているとパフォーマンスとして、感情的にはならずする分には体罰を使う事もあるのではないかと思う。

・出来れば、絶対にない方がいい、という考えが前提ですが、何度も同じことを、それも客観的に、絶対に良くないこと、非人道的な悪いことを注意しても直らない場合はやむを得ないこともあるかと思います。
ただ、教師の信念がしっかりしていて耐えに耐えた末の最後の手段だとは思います。
そして、せいぜい平手打ちくらいが限度だと思います。

・匙加体罰をちらつかせて生徒をしたがわせるのは問題だと感じます。減は考えるべきだが、一方的に規制する必要はない・

・保育の場での体罰はよくないと思うが、教育の場である就学児に対してはある程度は良いと思う。
暴力で訴えるのはよくないが、宿題やってきてないから廊下でやらせるなどそういう世の規則を教えるのは大事なことだと思うから。

・そのあとのフォローや対応がしっかりしていれば、いいと思う。出来ればないに越したことはないが、そこから学ぶこともあると思う。

・幼少期は必要ないと思うが、小学校高学年程度からはあっても良いと思う。

・指導者の感情のままの体罰はいけないと思いますが、その時、その瞬間でないと教えることが出来ない意図のある体罰は、時と場合によって必要だと思います。

・どうしても小さいお子さんは言葉を全て理解出来ないため、場合によっては軽い体罰も必要だと思います。
体罰でも愛情がある体罰です。

・やってはいけないことをすれば怒られるのは当たり前。
まずはその子らの話を聞くことが大切である。
そして、どこがいけなかったか考えさせる必要がある。そのためには、しっかり指摘していくのも大切である。
もし、その過ちが続くようであれば多少の体罰は必要であると考える。

・絶対にしてはならないことを知らしめるとき

・正当な理由があって、本人にとってそれが必要ならば構わないと思います。

・愛情とは「体罰を与えないこと」ではないと思います。時には多少の厳しい一面も、必要だと思います。

・子供が何度言い聞かせても同じ過ちを繰り返すようならある程度仕方ないとは思う。

・私自身、ビンタをされて、まじめになった経験があるから

・鉄は熱いうちにうつ

・指導者の感情にまかせた体罰は、厳に慎むべきですが、子供を甘やかせるとキリがありません。
しかるという意味での体罰は、そのことの重要性を子供に理解させるためには必要だと思います。
私も部活などで体罰を受けましたが、それには愛情や思いが込められており、今の自分を形成する一助となっていると思います

・子供は美味しい事と痛い事はとても敏感だから場合によっては必要。
ただしあとがのこるほど殴ったりするのは問題外。
最近のニュースをみるとあまりにも両極化しすぎている。

・叩かれない子どもたちは「何をしても叩かれることがない」安心感を得られるのかもしれませんが「どれだけ悪いことをしても叩かれない」と大人を甘く見ていると思います。

私の子どもは12歳ですが、小さい頃は悪いことをしたら叩いて育てました。人間として、ダメなことをしたときは、叩いても、殴ってでも、教えるべきだと思います。

・限度があるとは思いますが、自宅できちんとしつけなどをしていない場合、どうしても先生たちは親代わりになるから責任を持って教えるための多少の荒療治は仕方が無い場合があると思います。

・やりすぎはよくないが子どもに媚びたり、なめられたりすると学級崩壊につながる

・友達に怪我をさせたり命にかかわるようなことをしたときには必要だとは思う。

・痛みを知らない大人になってしまうから

・体罰と言われると恐いものに聞こえてしまいますが、私が学生の頃、悪い事は悪いとしっかり怒ってくれた先生は覚えてますし、感謝もしています。無意味な体罰は、それはいけないことですが、口で言っても分からない時は一発バシッと叩くくらいなら大丈夫なのでは?と思います。

・個性とは違う輪の乱し方をするものは子どもと言えども許されないから。大人を大人と思わない子が増えたと感じるから。

<不要>

・親が手をあげるのは、しつけだと思いますが、他人が手をあげることは、教育ではなく、ただの教育放棄の愚行だと思います。
体罰が必要論は体罰を行う側を擁護するが、体罰を実行する教育者は神ではなく嫉妬・妬み・欲望・渦巻く未熟な人間であり子供に対し公平で必要であり適切な体罰を行うことが出来ない事は自明の理です。
 そして体罰を受けた子供の心の傷はもちろん問題だが、それを傍観する子供は、体罰を行う側にすり寄り、体罰を受ける子供をいじめる歪んだ子供も出てくるのが世の常であり、保育、教育での体罰は単に上下関係、主従関係を暴力によって確立するだけのものにしかならない。

・力を知るのは必要だが、それは兄弟や生徒同志での喧嘩によって知るべきで、教育においては暴力ではなく言葉で諭すことが出来ると思う。

・小学校の管理職をしていましたが、学校教育法11条に「懲戒をすることは出来るが体罰はしてはならない」というのがありますので、「不要」と思います。
学校教育法は、直接、保育園には関係ないと思いますが、「体罰」については、現在、非常に問題になっていますので、不要だと思います。
只、子供に躾する上で、例えば、「おしりを叩く」とか「手を叩く」等は体罰ではないので、そういう指導は必要だと思います。

・すべての動物は基本的に力の強弱によって上下関係を取る様本能に刷り込まれているが、人はそれだけに寄らないと、教育するのであれば体罰は全くその方針に反していると考える事は容易であり、体罰を前提に考えるのであればそれは何の為の教育なのか、只、力の優劣を決めて順位を決める教育なのかどうかを実行する側がよくよく考えなくてはならない。

・体罰を与えなくてはならない状況がある場合は、教育者・親・本人含めて理由を公開し話合わないといけないし、もし問題が解決しないのであれば退園を含め処罰することの方が法治国家の一員として適切な手続きだと疑わない。

・今の現場では不要だと思う。
本来のしつけの中での体罰は必要な時もあるとも思うが、今の保育者、教育者そのものが、しっかりとしつけと体罰の区別がつかないように思う。しつけで叩くのか、感情で叩くのか。

・躾と言われる事がありますが、強制的に暴力で押し付ける体罰は躾ではないと思う。
そんな事をしても子供の身には付かず、躾とは、身が美しいと書くのに、美しなる所か汚くなりかねない。
もっと違う方法で、自主的に考え、行動させる様に導くのが親であり、教育者ではないだろうか。

・他に選択肢がない最後の最後の手段としての体罰は本来必要なものだと思う。
でも本当に他の選択肢がない状況だったのかを見極められるのは神だけで周りの人間が見極めるのは不可能。
そういう世の中である以上体罰は控えられるべき。というか控えた方が得策

・子供が嫌がることはやめたほうがいいですし、やられたら逆にもっと反抗すると思う。

・相撲部屋のリンチ殺人事件、あれが体罰というものの行きつく果てだと思います。
教育と暴力を結びつける事が許されたのは昭和まで。
戦争と一緒で、大義名分とセットになった暴力ほど始末におえないものはありません

・学校教育法で禁止されているとはいえ、教職者もただの人間であり、感情が爆発してしまいそうなこともある。
しかし、だからと言って、体罰を1度でもしてしまったら、体罰をされた子は「困ったら暴力で解決すればいい」という誤った認識をしてしまい、きっとその子も暴力で物事を解決するだろう。
よく「教師に必要な資質は何ですか」という問いがあるが、自分の感情を制御できる強い忍耐力が、先に述べたことを引き起こさない必要なものなのである。

・体罰や体を使ったしつけは親がするべきだと思うからです。
先生に体罰が許されるようになったら、体罰されない側とされる側ができます。
これがひいきと取られていじめにつながることもないとは言えません

・私は体罰体験者で中学生の時とても厳しい顧問の先生で実際部活は強かったのですが、殴る蹴る投げると酷かったです。
こんなにしなくてもと思いました。なので甘いですが、この教育体制を変えないといけないと思ったからです!!

・そもそも保育や教育の場に「しつけ」を求めることが間違いだと思います。
人に迷惑をかけてはいけないこと、人を傷つけてはいけないことは、家庭で学ばせるべきです。
その最低限のことがわからないこどもに保育や教育の機会を与えること自体が甘いと思います。
共働き時代こどもを保育園に預け、現在は小学生になった子を持つ親として、しつけのなっていない子に学ぶ権利なんてない!と強く思います。

・体罰で子供の心を動かせると思いません。安直な体罰を選ぶのは大人の都合。
もっと子供と向き合う時間や分かり合う努力をすべき。
子供の教育は、すべて大人の努力と責任に比例するものと思います。

・保育、教育機関では体罰まではせず、言葉で教え説くべき。

その内容などをきとんと保護者に伝え、保護者からも言い聞かせてもらうようにし、それでも改善が見れらない場合はその旨を保護者に伝え家庭に任せるべきかと。

・人間は力では変われない

・良し悪しとされる体罰の程度の認識が個々は個々に違いがあります。施す側、施される側、第三者の間にずれが生じると大きな問題になりかねないので反対です。大人がしっかりと言葉の力を磨き、子供を成長させるために悩むことが大切だと思います。

・体罰ではなく、他の方法があると思います。言葉の暴力も、深く心に傷が残ります。
今の時代、体罰はメディアで取り上げられますが、いじめも同じで難しい問題ですね。どうしたら良いのか、難しいです。
私自身、教師からの言葉の暴力は、何十年経った今でも消えていません。

・暴力による制裁は身体的ダメージばかりでなく心理的ダメージを与えると思う。体罰は百害あって一利なし。

・体罰は暴力です。痛みでいうことをきかせれば、子どもの年齢が低ければ低いほど即効性はあると思います。
しかし、痛みは少しずつ強力にしていかなければ効かなくなる。子どもが10代半ば頃、親と子どもの腕力の関係が逆転する。
暴力で支配された子どもは力関係が逆転したとき、暴力で支配するようになります。
教育の場なら体罰は許されない。指導する技術が劣っているということだと思います。

・体罰は教育ではない。

・その線引きは難しいけれど、教育側(先生)に、教える気持ち”と”ストレス発散やノルマ達成感”どちらが強いか?を見ていけば、答えは出るはず。

・子供に恐怖感を与えるだけで根本的な問題は全く解決されないから。
暴力で何でも解決できると勘違いする。

・必要な指導と体罰は全くの別物。
信頼関係信頼関係と言い訳しているが、本物の信頼関係が築けていたのなら体罰などなくても諭すだけで指導は可能なはず。
手を挙げていい理由にはならない。

・体罰は動物の調教と一緒の行為だから

・体罰は受けた人からする人になり次々と伝播するから必ず途中で断ち切る必要がある。

・今の若い人たち(子供)には、なぜ悪かったのか徹底して説明してあげる必要があると思います。
話を聞いて納得するまで説明する。親は、それを説明できるだけの教養が必要。子供と一緒に成長するんですよ。

・体罰をしなければ仕付けられない子供がいるとするなら、その様な子は体罰をしても直らないと考える。