<楽しい思い出>
○保育園の周囲に池があって、よくフェンスを登ってザリガニ釣りをしてました。ザリガニの大きさを競っていたのを思い出します。先生も一緒にしてました。今は危険ということで禁止されているようです。今の時代、何でも禁止とかで、過保護に成りすぎのような気がしてて、子供がのびのびと出来ているのかなあと思ってます。
○ 新入生への歓迎の言葉を代表で読みました。おとなしい性格なので、担任の先生ががんばってやってみなさいと言ってくれて、それから自信がつきました。
○週に2回お弁当ではなくパンの日があって、園長先生の机に並べられた後ろ向きの白い袋(パンが2つ入っている)を選ぶのですが、数少ないカレーパンが入っていたときは嬉しかったです。年長組の時は知恵がついて、袋にうっすらと滲む油を見分けてはゲットしてました!
○節分の豆まきがすごく楽しかったです。先生が豆や飴、チョコなどを幼稚園のホールにばらまいてそれを一目散に拾い集めました。
○ 保育所の行事で、コマ回し大会があり、クラスの中で最も長くコマを回し続けることができ優勝しました。先生やクラスのみんなから”すごぉ〜い”という歓声を受け大変嬉しかった思い出があります。
○ 幼稚園のときに初恋をした。お金持ちのお坊ちゃまで、お母様もピアノの先生をしていた。中学で偶然再会したが、面影があって懐かしかった。
○ 日曜参観日にかけっこをして、父に肩車してもらいながら走ったこと。
○ お母さんが早くお迎えに来てくれたときですね。おやつをもらってルンルンで帰った思い出が一番心に残ってます。
○ お遊戯会で好きだった男の子と手をつないだこと。
○ 砂場で、皆で遊んでいてレストランごっこしていて、そのレストランごっこでは丸々とした泥団子がときにはオムライス、ときにはグラタンといろんなメニューにかわっていき「はい!オムライス!!!!」と言って出てくるのが丸々とした泥団子で保育園といえば、この思い出しか思いだせないくらい頭にやきついて、離れません(笑)
○ 運動会などのイベントでマーチングバンドをやっていて指揮者を務めた事が楽しい思い出です
○ 幼稚園の年長さんの時に初恋をしました。転入してきた男の子で、いわゆる一目惚れというやつだったのですが、大きくなってからも一目惚れ体質は変わりませんでした。
○ 砂場で道を彫って山を作ってトンネル掘って、最後に水を流して川を作った。毎日ドロドロになって遊んだ。親は洗濯が大変だったと思う(笑)
○ おいも堀や泥んこ遊びといった、土に触れてあそんだことが記憶に残っています。
○ 年長になって、読み書きもだいたい身についていたので、年少の子供に紙芝居を読んであげたこと。
<嫌な思い出>
○ 俳句が書けなくて泣いた事。友達がいない事。
○ お昼は給食でしたが好き嫌いが激しくいつも残してばかりでした。全部食べきらないとお昼休みにならなかったので、皆が遊んでいる間、給食と格闘していたことを思い出します。
○ 保育園にあったアスレチックののぼり棒を滑り降りるというのがあって、怖くて降りられなかったらものすごく怒られたのを今でも覚えてます。
○ 千葉の団地から(マンモス幼稚園)長野の田舎の小さい保育園に移ってから女のガキ大将がいていじめられた。
○ 年長で一年しか行かなかったからかな・・・周りの子や先生ともあまり馴染めず、先生の態度もそっけない記憶しかなくて・・・
○ 保育園のころカレーに入ってる脂身の肉があまり好きではないのに、無理に食べさせられて吐いて、それから肉が食べられなくなりました。口にすると今だに吐きそうになります。
○ 左利きだったので、よく手を叩かれました。
○ 保育園時代、言葉に出して相手に伝えることが苦手で大事な手袋を保育園でなくしてしまったところ、後日見つかって先生が「だれのかな?」とみんなの前で聞いてくれたのに言い出せなかったこと。
○ いつもお迎えが一番最後でさみしかった。
○ 白雪姫の劇で、悪いおばあさん役をやったことです。準主役なのですが、子ども心には、嫌だった思い出になっています。
○ 保育園のお昼寝の時間毎日のように布団に入ると5分もしないうちにトイレに行きたがる子がいて、先生に「だから寝る前にトイレに行きなさいって言ってるでしょ!!」と怒られている子が居て、私はお昼の時間にトイレに行きたいというと怒られると勘違いをしずっと我慢をして最終的にはお寝しょをして大泣きした事をよく思い出します。
○ 年長のころ、小学校にあがるのが嫌で、ずっとクラスの担当の先生にしがみついていたのを覚えています。
○ いじめられっこだったので…毎日帰りの送迎バスを待っている間、必ず「砂場の落とし穴」に落とされていました!時には中に水が入っていたりして…本当に毎日!いやな思い出です。が、私も逞しくなり小学校ではそいつらを舎弟にしていたさっ!^^
○ 保育園の先生で、うれしい事があると園児の耳たぶを噛む癖を持っている先生がいて、本気で怖くてうっかり喜ばせてしまった時は命がけで逃げていました。
○ 当時は小食の為、給食が全部食べられなかった。時間過ぎても食べていると廊下に出されて床で食べた。無理に食べさせられて吐いた事も何度かある。水が怖かったので。プールでは立ち尽くしていたら、保育士に水の中に顔を押さえつけられて苦しい思いをした。虐待以外の何ものでもない。
○ 親が共働きだったので、いつもお迎えが一番最後でお友達もいない教室でテレビを見ながら、お迎えを待っていた記憶があります。
○ 親が転勤族で保育園だけでも3回も変わった。そのせいであまり馴染めず、友人もできなかった。幼いころこそ転勤は控えるべきだと思った。
○ 心臓病のため幼稚園時代の大半を病院で過ごしました。大切な友達が亡くなったり、幼稚園に行ってもプール等体育関係は満足に出来ず・・。友達に恵まれていなければ、拒否していたと思います。先生が1度もお見舞いに来られた記憶がないのも残念です。きっと来てくださったのでしょうが・・。
○ 友達の手袋を隠し、その子は無くなったと先生に言いみんなで探す事になって自分が見つけたふりをして褒められたこと。
○ 給食が美味しくなくて先生から無理やり食べさせられていた。
通うのがイヤになってしまいました。
○ 今から考えれば虐待(笑)。冬でも関係なし!?雪が降る中でも強制的に行われた「裸でランニングと寒風摩擦」。
○ 鼓笛隊に入っていてバトンをしてました。体育すわりで先生の話を聞いていてバトンを足でちょっと転がしたら起こられました><転がしといっても少し足先があたっただけなのですが・・・^^;何も言い返せずみんなの前で軽くたたかれた思い出が・・・残ってます。
○ 天然パーマでしかもクセっ毛だった私の髪を先生が「○○ちゃんのそのスズメの巣みたいな髪の毛なんとかならないの〜!?」ってみんなの前で言われたことです。今でも鮮明に覚えています。それ以来天パの髪がコンプレックスになりました。
○ 保育園の先生が、園児に虐待して自分含めて大半が幼稚園に移った。
○ 給食が小食で食べれなかったのですが、お昼休みまで食べていたことが今思うとヒドイことされたな〜と思います。みんながお遊戯している写真に私と、友達だけが給食食べている写真がたくさんあり、悲しい思い出が多いです。
○ クラスの男の子にペチャパイとからかわれ、先生に言ったらペチャパイなんだからしょうがないでしょ!と先生に言われた。ひどい先生だ。
○ 20年以上前のことだけど、結構鮮明に覚えている。先生にどんなに話かけても忙しいから全く相手にしてもらえなかった。聞こえてないんじゃないかってくらい「先生!先生!」といっても無視だった。あとは、滑り台でケガをしたこと。昼食後すぐに私は教室を飛び出して滑り台に遊びに行ったら見事にこけて血を出して病院に運ばれた。担任の保育士の先生は一年目で園長にすごく怒られていたのが今思えば申し訳ないと思った。
<その他>
○ 先生に怒られお尻をたたかれ、泣いていたこと。それしかおぼえていません。
○ 楽しみにしていたお弁当の時間、お弁当箱をパカッと開けたら空っぽでした。その日は、先生のお弁当を半分分けてもらいなんとか乗りきりましたが、空っぽ弁当箱事件は幼稚園時代の自分のトラウマとなっています。
今も娘にお弁当を持たせるとき、何度も確認しないと気が済まなくなってしまいました。
○ お絵かきの時間に将来なりたいものの絵を3枚描きなさいといわれた。なりたいものが3つも無いので困った。みんなが3枚もかけないよ。と文句を言うと、先生は「たとえば男の子なら電車の運転手とか宇宙飛行士とか、女の子ならスチュワーデスとかお花屋さんとかあるでしょ。と言った。私は母のようになりたかったので母を描いた。後は仕方ないので周りの子のまねをしてバスガイドと花屋さんを描いた。仲良しのマサ子ちゃんは、おねえちゃんかわたしのどっちかが養子さんをもらって電気屋さんを継ぐから電気屋さんの絵しか描けない。と言って泣いてしまった。だからマサ子ちゃんに私の絵を真似していいよ、と言ってバスガイドと花屋さんの絵を手伝ってあげた。今でもあれはばかばかしい気がしてならない。たとえばと言ってなりたいものの例を挙げたというよりこんな絵を描きなさい、そういう絵を描くことを望んでいるのだ、と子供心にも感じた。これは一例に過ぎず、毎日なにかしらそういう感じだったので、正しい子どもでいるのがしんどかった。
○ 鍵盤ハーモニカが全く出来ないので、演奏会の時に息を止めて適当にキーボードをたたいて、ごまかした事。親にばれてた。
○ おたまじゃくしを捕まえたけど持って帰る入れ物がなかったので水筒に入れて帰ったらお母さんに怒られたこと。かえるになるまで一緒に育ててくれましたけど^^
○ 年子だった姉が小学校に上がって、一人で園に通うのが不安になり、一時期登園拒否になり、母をてこずらせましたが、園の先生の優しい対応と、母の根気強い説得?でまた通う事ができました。今思うと、神経質で繊細な幼少期でした。
◆最後に、寄せられたコメントをいくつか紹介します。
◆アンケート項目は、「保育園・幼稚園時代の思い出は、楽しいこと、嫌なことのどちらですか?」でした。
2009年1月実施アンケート(期間2009年1月14日〜2009年2月13日)の集約結果は下記の通りです。
◆回答者は、1558名で、内訳は次の通りです。