「みんなでつくる子育て辞典」は子育てに関する情報集です。

2006年11月アーカイブ

教育環境の破壊

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 多くの教師が「この10年で子供が変わった」と実感している。すぐにキレる子供、じっとして授業を受けられない子供が増えている。さらには自分の欲望を抑えられない、あるいは善悪の判断ができない子供が増えている。未成年による凶悪な事件が報道されるたびに、暗澹(あんたん)たる気持ちになると同時に、今何とかしなければと思う。
 青少年による事件報道の際には、高名な教育評論家の方が「社会からのさまざまな重圧が青少年のストレスを増大させ、それによって彼らが犯罪に走るのだ。彼らこそ現代社会の犠牲者だ」とか「格差社会が諸悪の根源だ」などと言う。しかし、そんなことを言っても、何の解決にもならない。
 では、この10年で何が変わったのだろう。10年前には、小中学生は携帯電話を持っていなかった。テレビゲームはあったが親が「やめなさい」と管理していた。テレビ番組にはバラエティー番組は今ほどなかった。深夜のファミレスに小さな子供を連れた家族の姿はなかった。
 今はどうか。今の子供は、携帯電話やパソコンで出会い系サイトや有害サイトにいつでもアクセスできる環境にある。携帯用のゲーム機を持ち歩き、自室だけでなく屋外でも行い、四六時中ゲーム漬けである。テレビをつけると、芸能人の私的な話題をネタにして、出演者が笑い転げている番組ばかりである。さらには、まだ自分が遊びたいからという理由で親たちが子供の寝るべき時間を無視して子供を連れ回す。
 子供を取り巻く教育環境という視点から社会を眺めると、年を追うごとに教育環境は破壊されつつある。今や都市部も地方部も関係なく、この教育環境破壊が静かに進行中である。
 かつて立派な母親がいた。お墓の近くに家があったため、わが子が葬式のまねばかりしていた。そこで、市中に引っ越した。そうすると今度は商売屋のまねばかりする。これは困ったと、次に学校の近くに引っ越した。そうしたら勉強に励むようになったという。有名な孟母三遷の教えである。
 経済活動の自由ということで何を売っても結構。家庭内のプライバシーということで自由や権利も結構。しかし、子供たちの健全な育成は、そんな自由や権利といった概念を超えた社会全体で取り組むべきものであるはずだ。つまり、子供の健全育成のためには、個人の自由や権利よりも優先させるべき公共哲学という概念が必要なのではなかろうか。
 今、一人でも多くの大人が孟母となることによって、教育環境破壊の危機から子供を救わねばならない。100年で4度の気温上昇を恐れることも重要だが、10年後に子供が破壊される方が深刻な問題なのだ。
(産経web2006.11.06)

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